昨日の夜、You-Tubeをみてたら、NHKのBS特集の画像に行き当たり、全部見てしまった!
アメリカの女性物理学者リサ・ランドールを取材した「異次元への招待」との番組でした。
5次元世界の話でした。物理学者だけど、開拓者に共通する言葉として面白いのが数々あった。
「問いを見つけられた人が、その答えをみつけられる。」
「違う世界があることを嫌う人もいる。」
「(学生に)教えるというより、一緒に研究する/楽しむ。」
「物理は常に未知の世界への探求である。」
最後の一文を、「物理」から「対話」に言い換えて「対話は常に未知の世界への探求である。」としても的を得た言葉になっていると思う。
今日もこの言葉を実感した。
義弟を見舞に行って1時間ほど話している中で、彼女の話になった。
初めての話題です。結婚したいとも。ひぇ~!
1週間に1回~3回見舞って4ヶ月、話題が病状から未来のことに移ってきて、爆発的に話題が拡がってきた。宇宙誕生の瞬間、インフレーションという急拡大があるようだが、彼の話も宇宙に比する急拡大です。これも対話を続け、女房や私が話し過ぎないように注意してきたことの成果だと、自己満足しよう!
いやぁ~、これからの話が楽しみです。
2010年2月15日月曜日
理想の対話って、なんだろう?
理想の対話って、なんだろう?
仲間と話していての対話のキーポイントは、
1)対等な関係であること。その為にはお互いの立場・役割・職業・専門性などの枠を超えて、1人の人間に立ち戻ることがかなり重要で、
2)何を話してもOK、つまり批判されない、懐(ふところ)の大きさをみんなが持てて、
3)そのときなりに話しきった、聴ききった感があって、
4)気持ちが乗れば、ついつい仲間と行動を共にしようかと思い至る会話です。
単にお話しだけで終わるんじゃない。
お話しだけで終わっても良くて、対話が元でいつ行動に出るかはわかんないが、行動の余地を残すものと言った方が正確かもしれない。
この種の対話は8人前後で約2時間掛けないと満足できる境地に至らない。
でも、充分満足できる可能性があるし、この小単位が多くの変革の核となるんじゃかいかと強く思う。
仲間と話していての対話のキーポイントは、
1)対等な関係であること。その為にはお互いの立場・役割・職業・専門性などの枠を超えて、1人の人間に立ち戻ることがかなり重要で、
2)何を話してもOK、つまり批判されない、懐(ふところ)の大きさをみんなが持てて、
3)そのときなりに話しきった、聴ききった感があって、
4)気持ちが乗れば、ついつい仲間と行動を共にしようかと思い至る会話です。
単にお話しだけで終わるんじゃない。
お話しだけで終わっても良くて、対話が元でいつ行動に出るかはわかんないが、行動の余地を残すものと言った方が正確かもしれない。
この種の対話は8人前後で約2時間掛けないと満足できる境地に至らない。
でも、充分満足できる可能性があるし、この小単位が多くの変革の核となるんじゃかいかと強く思う。
2010年2月14日日曜日
Twitterも対話。サイズの大小、バーチャル/リアルの違いはあるが。
対話にも数々あります。
ワールド・カフェやAIやOSFは多人数での対話手法。
でも、私は少人数がいいな。8人ぐらいがベスト。じっくりと話せてみんなが満足できるから。
#なんてネーミングするかは考え中。仮にDC8と呼んでみます。(旅客機みたい)
Twitterは、あまりの多人数だけど、少人数でやるテイストが残っていてお気に入りです。
ただ、あまりに形式的な発言だと、私の好みのテイストが無くなって残念です。
なんとなく気に入った人をフォローして、様々な、多様なツイートを目にすることは、文明の力を使った、DC8だと思う。こりゃ、面白い。
私のツイートはここをご覧下さい。http://twitter.com/kem8
ワールド・カフェやAIやOSFは多人数での対話手法。
でも、私は少人数がいいな。8人ぐらいがベスト。じっくりと話せてみんなが満足できるから。
#なんてネーミングするかは考え中。仮にDC8と呼んでみます。(旅客機みたい)
Twitterは、あまりの多人数だけど、少人数でやるテイストが残っていてお気に入りです。
ただ、あまりに形式的な発言だと、私の好みのテイストが無くなって残念です。
なんとなく気に入った人をフォローして、様々な、多様なツイートを目にすることは、文明の力を使った、DC8だと思う。こりゃ、面白い。
私のツイートはここをご覧下さい。http://twitter.com/kem8
2010年2月13日土曜日
対話会の展開は何が決めるのか?
今日も対話会をやりました。
時間の制約がありましたが、多くの方が満足度70%以上、1人は100%でした。
しかも、内容が深い!
とっかかりは「自然とは」だったが、ひとりひとりの人生を反映した内容でした。
なぜこうも深い内容になるのでしょう?
勿論、対話会にはシナリオはありません。
誰が何を話すか、まったく判りません。
でも、私はこのところずっと深い内容の対話会ばかり経験しています。
ある人は「あんたのせいや!」と言います。
そうかも。私の関心事と共通する人々を呼び寄せているのでしょう。
そうでないかも。今の時代は深い話に誰も関心があるのでしょう。
本当のところを確かめたくなりました。
今のスタイルで、私抜きの対話会をやったらどうなるんだろう?
この場で結果をお知らせしますね。
時間の制約がありましたが、多くの方が満足度70%以上、1人は100%でした。
しかも、内容が深い!
とっかかりは「自然とは」だったが、ひとりひとりの人生を反映した内容でした。
なぜこうも深い内容になるのでしょう?
勿論、対話会にはシナリオはありません。
誰が何を話すか、まったく判りません。
でも、私はこのところずっと深い内容の対話会ばかり経験しています。
ある人は「あんたのせいや!」と言います。
そうかも。私の関心事と共通する人々を呼び寄せているのでしょう。
そうでないかも。今の時代は深い話に誰も関心があるのでしょう。
本当のところを確かめたくなりました。
今のスタイルで、私抜きの対話会をやったらどうなるんだろう?
この場で結果をお知らせしますね。
2010年2月12日金曜日
我田引水の罠(わな)
「99.9%は仮説」って新書版がある。
誰も日々仮説を作り、検証している日々なんだと思う。
しかも、自分が作った仮説に拘りをもって、
現象/事象を自分の仮説がうまく説明しているのでは、きっとうまく説明できると信じて物事を見ている。
だから、対話していても自説への我田引水をやりあって、自説のご紹介だけ、論を張るだけで終わってしまいがちです。
でも、そこで、なんでそのような仮説を編み出そうとしたか?を問うてみると論の根っこが見えてきておもろい。
互いの根っこを見る、味わうと、論が違ってみえてくる。
こうなりゃ対話が面白い。うふ。
誰も日々仮説を作り、検証している日々なんだと思う。
しかも、自分が作った仮説に拘りをもって、
現象/事象を自分の仮説がうまく説明しているのでは、きっとうまく説明できると信じて物事を見ている。
だから、対話していても自説への我田引水をやりあって、自説のご紹介だけ、論を張るだけで終わってしまいがちです。
でも、そこで、なんでそのような仮説を編み出そうとしたか?を問うてみると論の根っこが見えてきておもろい。
互いの根っこを見る、味わうと、論が違ってみえてくる。
こうなりゃ対話が面白い。うふ。
2010年2月11日木曜日
本当に話したいこと。その前に話してしまうこと。
意識的に対話の場にいるのでなくても、対話的な切返しをしたくなるときがある。
今日もあった。
それは、ある会合でのこと。
休憩時間に、その会の今後の活動に関することを話していた時だった。
M君「辻井さん、どこに住んでいるんですか?」
ケンパチ「大阪と千葉だけど、どうして?」
M君「上本町に得一ってお店があるんですよ。○○と○○○にもあります。」
ケンパチ「どうしたの? ニコニコして、とても楽しそうだね。」
あまりの笑顔に思わず、上の朱色の言葉が出てしまった。
コーチング業界でいうと「反映」と呼ばれるもの。
彼の言葉でなくて、ボディーラングエッジを私が言葉に翻訳したもの。
私の言葉で場が更に和やかになったのは確実だと思う。
彼は、お酒も好きだなだけでなく、みんなと飲みにゆく楽しさを実現したいんだとわかった。
でも、その先に彼が伝えたいものはあるのだろうな。
それは次のお楽しみです。
どうも人は多くの場合、本当に言いたいことの前に、本質からズレタことを話してしまうものだと思う。
本質に近づく助けをするのが聴き手の嗜み(たしなみ)だと思う。
今日もあった。
それは、ある会合でのこと。
休憩時間に、その会の今後の活動に関することを話していた時だった。
M君「辻井さん、どこに住んでいるんですか?」
ケンパチ「大阪と千葉だけど、どうして?」
M君「上本町に得一ってお店があるんですよ。○○と○○○にもあります。」
ケンパチ「どうしたの? ニコニコして、とても楽しそうだね。」
あまりの笑顔に思わず、上の朱色の言葉が出てしまった。
コーチング業界でいうと「反映」と呼ばれるもの。
彼の言葉でなくて、ボディーラングエッジを私が言葉に翻訳したもの。
私の言葉で場が更に和やかになったのは確実だと思う。
彼は、お酒も好きだなだけでなく、みんなと飲みにゆく楽しさを実現したいんだとわかった。
でも、その先に彼が伝えたいものはあるのだろうな。
それは次のお楽しみです。
どうも人は多くの場合、本当に言いたいことの前に、本質からズレタことを話してしまうものだと思う。
本質に近づく助けをするのが聴き手の嗜み(たしなみ)だと思う。
2010年2月10日水曜日
対話の場だからこそ、言葉以上のものを受け取れる。
昨日(2/9)にも対話会を行いました。
その中で非常に印象的だったことのひとつを紹介します。
阪神大震災を神戸市兵庫区(ど真ん中!)で体験された方の話を聴きました。
何故か、阪神大震災の話題が振られ、遠慮がちだった当人。
私も「もし良かったら聴かせて」なる趣旨のことを言ったと思う。
「じゃ、簡単に」と話しはじめた言葉は多くありません。
でも、言葉以上の何かが伝わってくる感覚がありました。
私にとっては、彼の言葉はすぐに映像化され、TV番組以上にリアルに感じました。
#具体的には地震発生時から、2階建てアパートの1階が消えたまでの話です。
言語化されていない何かを伝えたり、受け取ったりする能力?を人間は持っているんです、多分。
敢えて言語化すると、「辛さ」「鎮魂」「慈しみ」などなどでした。
対面で話しているだけではなく、話す側も聴く側も、ちゃんと態勢/体勢ができていてできることだと思います。
それを作り出せるのが対話の場です。
「で、結局対話ってなんやねん?」とのお急ぎの質問がありそう。
ちっとづつお答えします。
その中で非常に印象的だったことのひとつを紹介します。
阪神大震災を神戸市兵庫区(ど真ん中!)で体験された方の話を聴きました。
何故か、阪神大震災の話題が振られ、遠慮がちだった当人。
私も「もし良かったら聴かせて」なる趣旨のことを言ったと思う。
「じゃ、簡単に」と話しはじめた言葉は多くありません。
でも、言葉以上の何かが伝わってくる感覚がありました。
私にとっては、彼の言葉はすぐに映像化され、TV番組以上にリアルに感じました。
#具体的には地震発生時から、2階建てアパートの1階が消えたまでの話です。
言語化されていない何かを伝えたり、受け取ったりする能力?を人間は持っているんです、多分。
敢えて言語化すると、「辛さ」「鎮魂」「慈しみ」などなどでした。
対面で話しているだけではなく、話す側も聴く側も、ちゃんと態勢/体勢ができていてできることだと思います。
それを作り出せるのが対話の場です。
「で、結局対話ってなんやねん?」とのお急ぎの質問がありそう。
ちっとづつお答えします。
2010年2月9日火曜日
なぜ、対話への再チャレンジか?
このブログのサブタイトルに~対話への再チャレンジ~とした。
何で「再」なんや?
実は私が対話のモデルにしているものがある。
それはネイティブインディアンや先住民や、日本の古代の人々など、
稲作が始まる前(農業革命の前)の、狩猟採集生活を営んでいた人達の対話スタイルです。
アメリカの物理学者デヴィッド・ボーム著「ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ」に
登場するあまりに有名な話です。
少し長くなるが、半頁ほど引用します。
>さて、その北アメリカの部族はときどき寄り合いを持つことがあった。
>彼らはただひたすらに話すだけで、何の目的も無く話しているのは
>明らかだった。そこではどんな決定もなされなかった。その中に
>リーダーもいない。そして誰もが参加できた。他のものよりは話に耳を
>傾けてもらえる賢い男か女-年長者だろう-がいたかもしれないが、
>誰が話しても良かった。会合は長々と続き、やがてまったく何の理由
>もなしに終わって、集まりは解散する。だが、そうした会合の後では
>誰もが自分のなすべきことを知っているように見えた。
>というのも、その部族の者たちは互いを充分によく理解したからである。
>そのあと、彼らはより少人数で集まって、行動を起こしたり、
>物事を決めたりするのだった。
これを読んだのは2009年5月12日だった。
衝撃だった。対話の場では、合意形成も手放している。すごいなぁ~!
会社生活では合意形成は必須。
コーチングでも計画・実行することに価値を置く。
これらの事情も判る。
でも、本質というかほんまもんは、引用のようなスタイルを経由するのではないだろうか?
それは文明社会の今でも同じではないだろうか?
文明の便利さに目をやりすぎ、私達は本質のところを忘れてしまってるのでは?
一杯疑問が生じた。
そして今感じるのは、いろんな知識・文明・情報・文化を活かしつつも、
人間の底力である対話能力を呼び覚ますことが重要な課題ではないかということです。
引用したようなスタイルを真似るだけでなく、
今の時代に相応しい、新たな対話スタイルで
人間の底力を発揮する。
その為に、対話へ、再チャレンジしてもええと思っています。
ずっと対話している人達もいます。
宮大工は樹と対話し、料理人は食材と対話するなど多くの例を思い出せます。
でも、科学技術や組織の分野では、論理性/説明性の高さが要求されて、結論や効率重視で、
対話は疎かにされてきたように感じます。私個人の感覚かもしれません。
でもでも、コーチングで出会う多くの方々が孤立を感じているので、時代として共通の問題だと思われます。
いまこそ、対話を復活させる時だと思う。
だから、再チャレンジと私は呼びます。
人類にとっての再チャレンジ。
ちょっと大袈裟すぎますかね。
何で「再」なんや?
実は私が対話のモデルにしているものがある。
それはネイティブインディアンや先住民や、日本の古代の人々など、
稲作が始まる前(農業革命の前)の、狩猟採集生活を営んでいた人達の対話スタイルです。
アメリカの物理学者デヴィッド・ボーム著「ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ」に
登場するあまりに有名な話です。
少し長くなるが、半頁ほど引用します。
>さて、その北アメリカの部族はときどき寄り合いを持つことがあった。
>彼らはただひたすらに話すだけで、何の目的も無く話しているのは
>明らかだった。そこではどんな決定もなされなかった。その中に
>リーダーもいない。そして誰もが参加できた。他のものよりは話に耳を
>傾けてもらえる賢い男か女-年長者だろう-がいたかもしれないが、
>誰が話しても良かった。会合は長々と続き、やがてまったく何の理由
>もなしに終わって、集まりは解散する。だが、そうした会合の後では
>誰もが自分のなすべきことを知っているように見えた。
>というのも、その部族の者たちは互いを充分によく理解したからである。
>そのあと、彼らはより少人数で集まって、行動を起こしたり、
>物事を決めたりするのだった。
これを読んだのは2009年5月12日だった。
衝撃だった。対話の場では、合意形成も手放している。すごいなぁ~!
会社生活では合意形成は必須。
コーチングでも計画・実行することに価値を置く。
これらの事情も判る。
でも、本質というかほんまもんは、引用のようなスタイルを経由するのではないだろうか?
それは文明社会の今でも同じではないだろうか?
文明の便利さに目をやりすぎ、私達は本質のところを忘れてしまってるのでは?
一杯疑問が生じた。
そして今感じるのは、いろんな知識・文明・情報・文化を活かしつつも、
人間の底力である対話能力を呼び覚ますことが重要な課題ではないかということです。
引用したようなスタイルを真似るだけでなく、
今の時代に相応しい、新たな対話スタイルで
人間の底力を発揮する。
その為に、対話へ、再チャレンジしてもええと思っています。
ずっと対話している人達もいます。
宮大工は樹と対話し、料理人は食材と対話するなど多くの例を思い出せます。
でも、科学技術や組織の分野では、論理性/説明性の高さが要求されて、結論や効率重視で、
対話は疎かにされてきたように感じます。私個人の感覚かもしれません。
でもでも、コーチングで出会う多くの方々が孤立を感じているので、時代として共通の問題だと思われます。
いまこそ、対話を復活させる時だと思う。
だから、再チャレンジと私は呼びます。
人類にとっての再チャレンジ。
ちょっと大袈裟すぎますかね。
2010年2月8日月曜日
なんで対話やねん?と問われて。
対話って、誰もしてる。
でも、ほんまに対話になってる?
TVの討論番組は、単なる主張の応酬やし(ある種の娯楽にはなる)、
漫才も、文化ではあるが、そこから創造的な何かが生まれるものでもない、理解が生まれるのでもない。
家庭や職場にも本当の意味での対話があるだろうか?
酒を飲んで「本音の話ができる」と言うが、酒を飲まなくてもできれば幸せではないか?
#酒を飲んでたら、割と忘れてしまう、何を話したか。
当たり前のようで、当たり前にできていない対話を材料にあれこれ書いてみるブログです。
このブログには写真は無し。
文字だけで、何かを伝えてゆければと思っています。
でも、ほんまに対話になってる?
TVの討論番組は、単なる主張の応酬やし(ある種の娯楽にはなる)、
漫才も、文化ではあるが、そこから創造的な何かが生まれるものでもない、理解が生まれるのでもない。
家庭や職場にも本当の意味での対話があるだろうか?
酒を飲んで「本音の話ができる」と言うが、酒を飲まなくてもできれば幸せではないか?
#酒を飲んでたら、割と忘れてしまう、何を話したか。
当たり前のようで、当たり前にできていない対話を材料にあれこれ書いてみるブログです。
このブログには写真は無し。
文字だけで、何かを伝えてゆければと思っています。
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